詳細な診療情報 耳鼻咽喉科
耳鳴り治療について
耳鳴りで長年苦しんでいる患者さんは少なくありません。
耳鳴りの悪循環に陥ってしまうと大変つらい状況が生まれるからで、経験のない方には理解しがたいものです。
ところで、始まったばかりの耳鳴りと数ヶ月以上続いている耳鳴りでは、対応が全く異なります。
鳴り始めたばかりの耳鳴りは、早めに耳鼻科を受診してください。鳴り始めて数週間以内であれば、完全に音が消える可能性もあります。耳鳴りは、何らかの障害によって現れた症状ですから、その原因を探って、原因疾患の治療を考える必要があります。したがって、早めに最寄りの耳鼻咽喉科に受診することをお勧めします。
一方、耳鳴りの専門外来が受け持つ患者さんは、数ヶ月以上続いている耳鳴りで、何とかならないものかと苦痛を感じている場合です。
数ヶ月以上続いている耳鳴りは、その音を完全に消し去ることは出来ません。
したがって、上手くつきあっていく必要があります。とは言え、積極的につきあってはいけないわけで、エアコンのようなひっそり音を出している存在に変えることを目的にします。
耳鳴りは鳴っていても苦にしていないのであれば、そっとしておいてください。幸いな状況です。治療を受ける必要はありません。
耳鳴りが気になって苦痛のある人は、夜の静寂をつくらない工夫から始めてください。耳鳴りの音は、静けさの中でますます際立ってきます。静寂は、耳にとって安静にもなりません。周囲が静かな時には、内耳は最大限の機能を発揮して小さな音に反応できるように頑張っています。耳鳴りのある人に静寂は禁忌なのです。
耳鳴りが大きな苦痛となる仕組み
最近、耳鳴りが大きな苦痛につながる「しくみ」がわかってきました。
部屋のかたわらで「かわいいお孫さんの弾くピアノの音」は、たとえ大きくてもあまり気になりません。音が大きくても読書すら出来てしまうものです。
一方、嫌いな音楽や「隣家から聞こえるピアノの音」は、たとえ小さくても気になることがあります。特に、のんびりと過ごしたい夜に、隣家からピアノの音が漏れてくると、結構小さな音でも気になるものです。さらに、日頃から気に入らない隣人であったり、「またか」という思いがあったりすると、怒りとストレスが生まれて、その音に気持ちはますます向いてしまいます。
これは、耳鳴りに対する苦痛と本質的に同じで、脳が持つ高度な機能が関わっています。
人を含めた高等動物には、いろいろな音に対して無意識で識別する力が備わっています。森の中で体を休めている時、風で揺れる草木の音は聞き流しますが、獣の近づく足音には敏感に反応します。進化の過程で備わった、自分にとって有害な音を意識にあげることが出来る防衛能力です。これは、大脳皮質下という所で無意識に音の識別が行われているとされています。この仕組みには感情も関わっており、獣の近づく足音に対して、恐怖感が強いとさらに敏感に反応します。また、獣の近づく足音に反応した脳は自律神経も調節します。自律神経は活動モードとなり、体を休息状態から緊急体制に切り替えるため、眠気は吹き飛びます。このように、自分にとって有害な音とインプットされると、脳は意識の中に鮮明にその音を浮かび上がらせると伴に感情の関わりのもと、自律神経をも調節するわけです。
この機能が、まさに耳鳴りの苦しみをつくっているわけです。
1.耳鳴りが続けば、誰もが不快です。
2.耳鳴りが不快と認識されると、頭の中にきわだって意識する現象が発生します。
3.これがストレスを招き、悪循環に陥っていきます。耳鳴りに対するストレスは、さらに耳鳴りに気持ちを向けていきます。
4.夜間この状況が起きると、自律神経は活動モードのままとなり不眠に陥ります。
5.不眠が続くと、寝不足になるので精神的なゆとりをなくします。気持ちのゆとりがなくなると、頭の中は耳鳴りのことばかりになってしまいます。
ところで、耳鳴りの音の大きさは検査で調べることが出来ます。ノイズ音などをヘッドホンで聞いて、耳鳴りと同じ音の大きさを見つけます。すると、耳鳴りに大きな苦痛を抱いている方も、決して大きな音ではないことがわかります。例えば難聴のない方の耳鳴りは、エアコンから聞こえる音のように、実は日常生活の雑音や音楽、テレビでまぎらわすことが出来る程度なのです。
TRT
TRTという耳鳴りの治療法があります。
これは、先程の耳鳴りの悪循環を解きほぐすことが目的です。7割以上の患者さんに効果を認めます。以下に、その概略をまとめました。
Tinnitus Retraining Therapyの略で直訳すると「耳鳴りの再訓練療法」となりますが、よくわかりませんね。
一般的に、耳鳴りに対して順応する(慣れる)治療と表現されます。
「耳鳴りに慣れるだけか」と考えてしまうと、そんな治療を受ける気は起きません。
1990年代にジャストレボフという医師が提唱した治療法です。
TRTには、二つの柱があります。
1.「音響療法」
耳鳴りを改善するには、通常何らかの音響療法が必要です。
夜間の静寂を避けることも音響療法の一つです。静寂を避けるために、ラジオの局間ノイズ「シャー」という音や川のせせらぎや森林での環境音を使います。これらは、耳鳴りを2/3〜5/6程度まぎらわすように音を入れます。
耳鳴りの音は実際には大きくないと述べましたが、耳鳴りが気になっている方に「音は大きくないから気にしないでください」では解決しません。そこで、別の音をかぶせて耳鳴りに気持ちが向かないようにします。また、耳鳴りの大きさは変動するものです。検査上、耳鳴りの音は大きくなくてもご本人にとってどうして大きな音と感じられるかは医学的に説明できます。人の感覚というのは奥深いものなのです。
音響療法は、基本的に耳鳴りを完全に隠さないことがポイントです。耳鳴りを消してしまうと、TRTの目的としている脳の悪循環の回路を壊しづらくなるからです。耳鳴りがいくらかは聞こえている状態で、その耳鳴りが「不快」でも「重要」でもない音と脳に識別するように導くためです。
そして、難聴がある場合には補聴器を使用します。補聴器によって生活の質が上がると耳鳴りに向かっていた気持ちが薄らぎ脳の悪循環は改善していきます。また、補聴器により周囲の音が脳にたくさん入るということは、難聴の方にとって静寂を避けることと同じ意味になるのです。最近では、わずかな難聴の方にも補聴器を活用することで治療効果は上がっています。ただし、補聴器は決して安いものではありません。耳鳴りがあっても苦痛がない方にはお勧めしません。補聴器は、それをあまり必要としていない人にとっては装着自体がわずらわしいからです。苦痛があまりない場合には、購入しても結局使わなくなる可能性が高いので、そのあたりをご本人が見極める必要があります。
2.「指示的カウンセリング」
難しい表現ですが、日本人がイメージしているカウンセリングとは異なります。
耳鳴りに対して理解を深めるための解説をしっかり聞く機会と考えてください。「耳鳴りを理解してどうして楽になるんだ!」という方もあるかもしれません。これは耳鳴りに順応する下地をつくるために必要ですので、だまされたと思って聞いてください。
当院では、「耳鳴り教室」でこの解説を行っています。脳の働きや耳鳴の苦痛の仕組みを解説し、音響療法の具体的手法や注意点などを解説します。この「耳鳴り教室」は(基本的に)家族か友人とご一緒に1回の参加で構いません。内容を十分に理解して頂けると、音響療法のポイントが見えてきます。
当院の耳鳴り治療
我々が行っている耳鳴り治療についてお話しします。
治療はこのTRTをベースにしています。
慢性の耳鳴りに対して「耳鳴りの音」を消すことは困難ですので、耳鳴りの苦痛をとることが目的です。結果的に、8-9割の方は苦痛が大きく改善します。耳鳴りがある時と無い時がある方は、無い時が増えます。この場合、完全に消えることを目指されてしまうので、それは目的にできないことをお話しします。
これは音響療法(補聴器や静寂時の対応)の効果ですが、これらの音響療法を適切に行うことが簡単ではなく、耳鳴教室で解説し、再診時に言語聴覚士が適切にできているかを確認するようにしています。
当院の音響療法は、聴覚中枢の感度を下げて耳鳴りの感覚量(感じる程度)を減らすことを目指しますので、リラックス音楽等を使う音響療法とは異なります。夜間の静寂をさけるためのBGMとして、自然環境音や広帯域ノイズをお勧めします。過去の我々の研究から、自然環境音は音圧が変動する「波の音」より、比較的音圧の一定な「川のせせらぎ」や「滝の音」を提案しています。
ご自分にとって心地よく聞き流すことができる自然環境音に包まれることで、就寝時、中途覚醒時、起床時の耳鳴りの苦痛を軽減します。目をつむった時に、そのBGMの音源がどこにあるかわからなくすることがポイントです。その理由は耳鳴り教室でお話しします。
昼間に耳鳴りの苦痛が強い方には補聴器を使用しますが、この効果の大きさが耳鳴診療の劇的な進化と言っても過言ではありません。調整が簡単ではありませんので、成績には施設差が今もあります。適切なフィッティングが実施できれば、「装用中は耳鳴りが気にならない」状態を9割の方で実現します。
今のところ、耳鳴りに対する特効薬はありません。ただし、不眠やストレスは耳鳴りの苦痛と関連していますので、状況に応じて薬物治療を併用することはあります。ただし、治療が軌道にのれば減量や終了することが通常です。
職場や生活環境にストレスを抱える方は少なくありません。このような方に耳鳴りが発生すると、耳鳴りの苦痛も大きくなりやすいことがわかってきました。この場合、耳鳴りの対応だけでは苦痛が取れません。心のストレスに対して具体的な対応を必要としますので、ご家族やご友人と話しあって頂いたり、心療内科の受診を提案することもあります。
我々の耳鳴り外来は、チームで診療にあたります。言語聴覚士、医師、看護師、医療事務系スタッフが主要メンバーです。そして、補聴器の調整や販売を担う認定補聴器技能者と連携をとります。
ところで、耳鳴外来の混雑が年々増しており、患者さんの待ち時間が増えているばかりか限られた人手で診療レベルが低下するのを危惧しています。工夫は重ねてきましたが、診察待ち時間の長さではたいへんご迷惑をおかけしています。何とぞご理解のほど、お願いいたします。
最後に
耳鳴りに対して、まずは最寄りの耳鼻咽喉科での相談をお勧めします。そして、状況に応じた対応を受けましょう。
それでも改善しない場合には、我々のような耳鳴りも専門とする耳鼻咽喉科機関に紹介して頂くのが良いと考えます。
耳鳴りの音は消えませんが、音の感覚量の減弱と苦痛の改善であれば可能と考え、具体的な対応や治療を行いましょう。
日本赤十字社愛知医療センター名古屋第一病院 耳鼻咽喉科 柘植 勇人
2022年10月29日